2007年05月30日

珍味

 ちょっとツボにはまってて、たま~~~に食べたくなる、ん?、飲みたくなる??。

 
コーヒーぜんざい



 京都は清水の甘味処 “マミ” の看板メニュー。

 ほんのり甘味のついたコーヒーと、甘味を抑えた小豆が微妙になじんで、これはこれでうまい。

 是非に、とは言わないけど、話のタネにいかがでしょう。






 
    ※ 矢印に若干のズレがあるかも知れませんのでごめんなさい


 ここがコーヒーぜんざい発祥の店と称しているからには、他所にもあるようで、

 三重県の鈴鹿近辺ではポピュラーなメニューらしい。



 これは長野県伊那市駅前の喫茶店 “つつみ” のコーヒーぜんざい。

 ずばり、アイスコーヒーに小倉あんを入れたもの。

 でも滅多に注文がないらしい。

 このときも 「数年ぶりに作った」 と言うてはった。


  風前の灯、ってやつ?。







 by きりん

by きりん   at 23:13  カテゴリは 「おやつ」ですニャ

コメントニャ(0)  トラックバックニャ(0) 
前回からのつづきです

 少年が酒もタバコも覚えた頃、こだま型電車が引退する噂を聞きました。

 東海道新幹線の開業で東海道線を追われたこだま型電車は、
 山陽本線と、上信越、中央東線に別れて運用されていました。

 山陽本線で使用された列車はパーラーカー食堂車もつながれて、
 東海道時代の華やかさを残して活躍していましたが、山陽新幹線の開業のためにすべて関東地区へ移動しました。

 その時にパーラーカーだった車両は一般車に改造されて姿を消しました。
 食堂車も使用路線の都合や需要の減少のために徐々に数を減らし、最後は食堂車なしで運転されていました。

(交通科学博物館所蔵のレプリカ)   


 こだま型電車は製造後20年を経ずして廃車が始まりました。
 長距離特急電車のため走行距離が長いこともありましたが、
 使用線区の厳しい気候(上越線の豪雪が特に応えた)や、
 初めての特急電車ということで試行された箇所の劣化などもあって、廃車が早かったのです。

 最後は上越線の特急「とき」で使われていましたが、
 昭和57年の上越新幹線開業のために全車廃止。「とき」の名称は新幹線に引き継がれることになりました。


 廃止になると聞くと乗りに行きたくなるのが鉄道マニアの性です。

    しかも幼い頃から憧れ続けているのに一度も乗ったことが無い。


 でも結局乗りに行きませんでした。雑誌に載る写真を見ると、

 20数年の酷使のために疲弊しきった姿が痛ましく、それを間近に見る勇気がなかったのです。




 こうしてこだま型電車は私の憧れのまま姿を消しました。

 日本の高度経済成長を、人を運ぶことで支え、

 新幹線をはじめ、色々な次世代の技術のプロトタイプとなりながら、

 新幹線に働き場所を追われ続ける20数年でした。





 さて、ブリキのこだま号を床に置いて 寝そべってじぃーーっと眺めていた子供は、



 鉄道模型の線路を座敷に敷いて、走り回るこだま号の模型を、
 寝そべってじぃーーっと眺めている中年になっていました。






 ファニー : ねーねーきりんー、ほかの電車で遊ぼうよー。
        ファニー新幹線がいいのニャ。



 きりん : …………


 ファニー : ねえってばー。


 きりん : zzzz ZZZZ zzzz ZZZZ
 


  by きりん
 

by きりん   at 19:58  カテゴリは 「こだま」ですニャ

コメントニャ(2)  トラックバックニャ(10) 

2007年05月28日

昼の番外 その1

 定番と呼べるお店は出尽くしましたので(なか卯、とかいらないデショ)、しょっちゅうは行かないけれど、たまに食べるメニューをご紹介。

 今日はYOKOOスペシャルカレー




 じっくり煮込んだカレールウ、それだけだと普通のカレー。

 それだけでもうまいけど、そこに牛肉と玉ねぎをたっぷり炒めて混ぜてあるのです。

 辛口のルウにほんのり甘い玉ねぎとビーフが絡まりあって…、

 うーん!!




 お値段が¥1,050は昼飯にはちょっと高い。ま、給料も出たのでパッといっちゃいました。


 by きりん



 

by きりん   at 20:24  カテゴリは 「ごはん」ですニャ

コメントニャ(2)  トラックバックニャ(0) 

2007年05月27日

おなら体操

 最近、上野樹里嬢が歌うこの歌が耳について離れない。



 ファニー : きりんもいっしょに踊るのニャ。

 きりん : いや、儂はいい。

       いい。   けど……




         ~~♪


 by きりん

by きりん   at 19:35  カテゴリは 「つれづれ」ですニャ

コメントニャ(0)  トラックバックニャ(1) 
(前回からのつづきです



 物心ついたときにはこの電車が好きでした。誕生日にもらったブリキのこだま号を床に置いて、寝そべってじぃーーっと眺めていたと母は言います。

 初めて実物を見たのは2歳の頃でしょうか。知人の見送りに大阪駅へ行ったことを覚えていますが、さらに印象深い事は、東京高輪の伯父の家に遊びに行った時(うちは上流階級ではないので普通急行で行ったらしい)、近くにこだまの車庫があって、そのそばへ連れていってもらったことです。
 2歳7ヶ月の時なのですが、目の前に横たわるこだま号の姿が今でも記憶に残っています。


 そんな幼児が覚えた最初の文字が、



 こだまの3文字。




 その次に覚えたのは、並びのよく似た、


 たばこの3文字、らしいです。




 やがて幼稚園、小学校の頃になると、「夢の超特急」なるものが現実化し、東海道新幹線ひかり号が走り始めました。
 それにともなって東海道在来線の特急電車は廃止。「こだま」という名称は新幹線の各駅停車に使われました。

 早い乗り物、新しい電車が好きな子供のことですから、その頃は新幹線に夢中でした。しかし実際に乗ってみると熱は冷めてしまいます。

 そんなある日、かつてのこだま号の車両が山陽本線の特急に使われていることを知ります。
 小学校高学年から中学にかけて、こだま型電車を追いかけ回すこととなります。

 とはいえ、小中学生の行動範囲は限られます。当時住んでいた千里山からいちばん近い国鉄線は吹田でした。

 国鉄吹田駅の南側の線路沿いの道端まで自転車で行き、行き来する電車(もちろん最大のお目当てはこだま型)やSL(当時は城東貨物線にSLが走ってました)を眺める…少年時代のかなりの時間ををそこで過ごしてました。


 by きりん

         (JR吹田駅の近く)


  つづく

by きりん   at 19:58  カテゴリは 「こだま」ですニャ

コメントニャ(2)  トラックバックニャ(10)