特急こだまを語る 第2部

きりん

2007年05月26日 19:58

(前回からのつづきです



 物心ついたときにはこの電車が好きでした。誕生日にもらったブリキのこだま号を床に置いて、寝そべってじぃーーっと眺めていたと母は言います。

 初めて実物を見たのは2歳の頃でしょうか。知人の見送りに大阪駅へ行ったことを覚えていますが、さらに印象深い事は、東京高輪の伯父の家に遊びに行った時(うちは上流階級ではないので普通急行で行ったらしい)、近くにこだまの車庫があって、そのそばへ連れていってもらったことです。
 2歳7ヶ月の時なのですが、目の前に横たわるこだま号の姿が今でも記憶に残っています。


 そんな幼児が覚えた最初の文字が、



 こだまの3文字。




 その次に覚えたのは、並びのよく似た、


 たばこの3文字、らしいです。




 やがて幼稚園、小学校の頃になると、「夢の超特急」なるものが現実化し、東海道新幹線ひかり号が走り始めました。
 それにともなって東海道在来線の特急電車は廃止。「こだま」という名称は新幹線の各駅停車に使われました。

 早い乗り物、新しい電車が好きな子供のことですから、その頃は新幹線に夢中でした。しかし実際に乗ってみると熱は冷めてしまいます。

 そんなある日、かつてのこだま号の車両が山陽本線の特急に使われていることを知ります。
 小学校高学年から中学にかけて、こだま型電車を追いかけ回すこととなります。

 とはいえ、小中学生の行動範囲は限られます。当時住んでいた千里山からいちばん近い国鉄線は吹田でした。

 国鉄吹田駅の南側の線路沿いの道端まで自転車で行き、行き来する電車(もちろん最大のお目当てはこだま型)やSL(当時は城東貨物線にSLが走ってました)を眺める…少年時代のかなりの時間ををそこで過ごしてました。


 by きりん

         (JR吹田駅の近く)


  つづく

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