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2011年06月17日

超特急の末裔

 先日福岡出張の帰り、電車の時間に余裕があったので、JR九州新幹線のつばめを見てきました。

超特急の末裔

 新幹線も青森から鹿児島まで走る時代になりましたが、
 東海道新幹線ができる前は、「夢の超特急」なんて呼ばれていたことがありました。
 従来の特急列車のスピードをはるかに超え、料金も超えた列車だったのですね。

 夢が現実になり、東京と大阪はより身近な関係となったのですが、今までには考えられなかった、東京-大阪日帰り出張などという超ハードな勤務が当たり前になったのでもあります。

超特急の末裔
 新幹線よりもずっと昔、超特急と呼ばれた列車がありました。
 1930(昭和5)年に東京-神戸間に登場した特急燕(つばめ)
 当時はこんな形の機関車が牽いていたのです。

 それまで11時間以上かかっていた東京-神戸間を、いろんな技を駆使して9時間に短縮したのでした。


超特急の末裔
 第二次大戦中は運転を取りやめ、東京-大阪に復活したのは戦後のこと。
 最初は「へいわ」という名前だったのが、すぐに「つばめ」と改められました。

 つばめのマークは国鉄のシンボルマークのように扱われていたことがあります。
 野球のヤクルトスワローズの「スワローズ」という名前も、球団の前身だった国鉄スワローズの名残りなのです。


超特急の末裔
 特急こだまが東海道線にデビューしてから、つばめも同じ電車が使われるようになり、山陽本線の電化が進むにつれて、広島までと西へ足を延ばします。

 東海道新幹線の開業で、新大阪から九州へ行く列車になり、山陽新幹線の岡山開業で岡山発と西へ追いやられ、そして山陽新幹線の全線開業で一度姿を消します。


超特急の末裔
 国鉄からJRになってから、博多-鹿児島間の特急として復活。
 九州新幹線の部分開業で、ついに新幹線の列車名になったのでしたー。


超特急の末裔
 ところが、新幹線の列車にはなったものの、
 格付けは東海道・山陽新幹線のこだまと同じの九州新幹線内各駅停車になってしまいました。
 かつては数多の列車を追い抜いて突っ走ったつばめが、
 あろうことかみずほ・さくらに抜かれる立場になってしまったのです。

 日本を代表する超特急の末裔は、超各停になってしまったのでした…。

 できるならば、大阪から九州へ向かう列車につばめを名乗って欲しかったと思うのは私だけでしょうかねぇ。



 by きりん


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Posted by きりん at 18:24 カテゴリは 「でんしゃ」ですニャ

コメントおねがいニャ (4)


コメントありがとニャ~
同居の孫息子(3歳)が、「きかんしゃトーマス」フアンです。
梅小路にも、そのうち行こうと約束しています。
Posted by あんちゃん at 2011年06月18日 09:48
 あんちゃん

 走る蒸気機関車、ぜひ見せてあげてください。
 ただ、梅小路はほとんど露天ですので、雨の日と真夏は避けたほうがいいと思います。

 昔は千里山でも夜になると、吹田操車場の汽笛が聞こえてたなぁ……
Posted by きりん at 2011年06月18日 12:21
阪神ではない、ヤクルトの俺とすれば、キリンさんが正しい。

なにがミズホや。

走るどころか、振り込みもことも出けへんで。
Posted by あほん at 2011年06月20日 12:26
 あほんさん

 「みずほ」ねぇ。
 元々東京ー鹿児島の特急名だった「はやぶさ」を東北新幹線に持って行かれなかったら出番はなかったろうに…。
Posted by きりん at 2011年06月20日 14:17
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