2008年05月07日
電車の骨董品

左端は阪急1形。
1910年、阪急の前身、箕面有馬電気軌道(現在の宝塚線と箕面線)が開業したときの電車。
出来た当時は木造だったけど、後に鉄製に改造された姿。
今でこそ宝塚線は大きな車両が8両で走り回っているけど、最初は小さな電車が1両でコトコト走っていた。のだそうな。
右は新京阪P-4形・デロ10形ともいう。
1925年、阪急京都線の前身、新京阪鉄道が千里山線と嵐山線の支線用に造った電車。支線用だから小さい。
集電用のポールがパンタグラフに変わったり、ヘッドライトの位置が変わったりしたけど、この電車は最後まで木造でした。

右の2両は以前にも紹介しました。
左が伝説の名車、新京阪P-6形・デイ100形ともいう、ひゃくおうじいさん。
右は神戸線用の900形。
あとでこの2両が連結して、体験乗車で走るのです。

古い2両は走らせるというわけにはいかないようで…、
あれ?。

P-4が走ってる??。

走った!
走った!!
走ったぁぁぁ~!!!

後ろから押されてました。

押していたのは2300系、ふたすけさんの第1号車。
現役は退いているけど、工場内に保存されている。
こちらはまだ現役で走り回っている車両がいるけれど、いずれ「2300系体験乗車」でないと乗れなくなる日が来るのかなぁ。
by きりん
こっちも見てね⇒⇒⇒

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私は千里山に越してきたときに、地元の中学に行かずに、大阪に越境通学していました。掲載されている「下新庄駅」の白黒写真の電車でした。あの頃は3両編成でした。運転台の中に入り込み、出るときにしゃがんだ際、器具に思いっきり尾てい骨をぶつけ、悲鳴を上げたこと思い出しました。
Posted by あんちゃん at 2008年05月08日 09:32
あんちゃん
P−6も運転台と客室の仕切りは真鍮の棒を一本張っただけで、簡単に出入りできました。子供の私が入り込んでも、追い出したりはしなかったですね。
おおらかな時代でした。
P−6も運転台と客室の仕切りは真鍮の棒を一本張っただけで、簡単に出入りできました。子供の私が入り込んでも、追い出したりはしなかったですね。
おおらかな時代でした。
Posted by きりん at 2008年05月08日 18:44